タグ別アーカイブ: 自分軸

アサイド

自信がなくて生きづらくてどん底の頃に、小学校教師だったアメリカのホストマザーから言われた言葉。「どうしたら自信が持てる?」の私の問いに対して、

「不健康で不幸せな先生と、健康で幸せな先生、どちらにわが子を託したい?」

「明らかよね。あなたが健康で幸せであるためには、あなたはまず自分の面倒をみなきゃならないのよ。常にどの瞬間も、自分にとってベストの選択をする必要があるのよ」

日本人の私としては、「へー!それってわがままじゃないんだー!」と驚きました。

でも真実でした。自分軸を取り戻し、その後の人生が一氣に楽になりました()

「まず人様のことを考えなさい」から解放しよう〜Take care of yourself first〜

アサイド

世間体や周りの言うことばかりを優先していると、やがて自分の心との繋がりが無くなります。自分軸を無くすと大変生きづらくなります。

自分軸を失うとどういうことになるのか、悲惨な一例を、15年ほど前に訪れた沖縄のひめゆりの塔で軍の負傷兵の看護をさせられた、元ひめゆり学徒隊の方からお聞きしました。

生の声で実際の経験を聞く機会はとても貴重だったと思います。その時、私は氣づかぬ内に号泣していました。普段は心を大きく揺さぶられても自制心が強く泣くのをこらえます。

人前で氣づいたら激しく泣いていたのは、小5の時に祖父が目の前で心肺蘇生を受け、息を引き取った時と、このひめゆりの塔の時だけ。

その方はまだ戦争当時13、4才であったかと思われます。医師が負傷兵の壊死した足を切断する際に負傷兵の身体を固定させられたり、切断した手足をトレイに乗せて外に埋めに行ったりしたそうです。

沖縄が捨て石となりアメリカ軍に完全包囲された時、それまで「お国のために身を捧げろ」と指揮をとっていた上の者たちが、これより先は自分たちで判断しろ。解散!と民間人に伝えてどこかに消えてしまったそうです。

その方は他の民間人たちと壕に逃げ込み、そこでアメリカ軍による集中攻撃を受けたそうです。その方は射撃され倒れた誰かの下になり無傷でした。

当時の人々にとって死は怖い者ではなく、怪我をして苦しみ生きながらえることが恐ろしかったと言います。それよりは即死を望んだのです。その方は怪我せず生き残れました。

すると次の瞬間、先ほど攻撃してきたアメリカ兵たちが“No poison. No poison.”(毒ではない)と言って、生き残ったその方に水を飲ませようとしたそうです。ついさっき攻撃してきたアメリカ兵が今は自分を助けようとしていることに、大変混乱したそうです。

当時、沖縄の多くの軍人・民間人も、戦陣訓「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」の洗脳のために、玉砕や自決などで命を散らしました。

でもその方はアメリカ兵の差し出す水を飲み、ジープに乗せられました。同じく生き残ったひめゆり学徒隊の先輩はアメリカ兵にカンフル剤を打たれ、頬の色が桃色になったので、「あぁ、先輩も助かった。よかった!」と安心したそうです。

ところがその先輩はアメリカ軍のジープの上から飛び降り、自決してしまったのだそうです。

先輩とその方の違いは何だったでしょうか。

先輩は、教え込まれた戦陣訓「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」に従い、助かった命を絶ってしまいました。

その方は「私は何故だかわからないけど、その時、”生きなければ“と思ったんです」と仰いました。

その方は、自分の心と繋がっていたのだと思います。自分軸があったのだと思います。

そして何十年も、戦争の悲惨な経験と平和の大切さについて語るという、ご自身の尊いミッションを行っていらっしゃるのだと思いました。

だから、今学校で辛い思いをしているお子さんにも、自分の心と常に繋がっていること、自分軸で生きることを大切にしてほしいのです。

自分がもしハッピーでないと思うなら、相談する、選ぶ、逃げる、主張する、創るなど、自分で選択肢を作って行ってほしいと思います。自分軸さえ取り戻せば、怖いものなしです。

子どもたちへのメッセージ『親でも先生でもない、自分の心だけを信じて』ひめゆりの塔のエピソード