I’m back from Florida.🇺🇸 I’m so glad I had the opportunity to spend some time at my American mother’s house saying goodbye.”
フロリダから戻りました🛫
最愛なる亡きアメリカのマザー、ボニーの家のお片づけと遺品の整理をしてきました。
私は親族ではないので、お葬式もしてあげられないし、家に入ることもできないと諦めていましたが、ボニーに会いに行くためにもともと予約していたフライトをキャンセルできずにいました。
そこで亡きマザーのメッセージをサイキックの友人の力を借りて聞き、やはりボニーのところに行こうと決めました。
「もし私の家に来るなら、家を少し片付けて欲しい。最後はお掃除ができなかったから。形見に欲しいものは何でも持っていってね。あなたはお母さんに感謝しなくてはね。あなたがアメリカ留学を実現できたのはお母さんのおかげなんだからね。そして私もあなたのお母さんにとても感謝している。あなたを私の元に送ってくれたことを。」
ボニーの従姉妹と連絡が取れ、家のお片付けをさせてくれるとの事✨
ボニーの家に入ったらすぐに、ボニーは私が来るのを待ってくれていたんだな、と実感しました。
玄関を入ってすぐのところに私たち2人の写真が飾られていて、私が17歳の時にプレゼントしたマグカップ”To Mom with love”でコーヒーを飲んだ跡がありました☕️😭✨
「部屋を片付けたら窓のあるテーブルに花とキャロットケーキを置いて写真を撮って欲しい」💐🍰
ボニーがそう言っていると聞いたので、その通りにしました。家に入るとどの窓とテーブルのことかすぐにわかりました✨
州の遺体安置所にも行きました。涙があふれました🥹
日本人からは、「ご遺体に会ってあげたほうがいい」と言われたけれど、アメリカ人からは、「ずいぶん時間が経って状態が悪いから会わないほうがいい」と言われ、彼女の魂はそこにはいないのだから会わなくていいと自分では思っていたものの、日本人としては薄情な感じになるのかなと、迷っていました。
安置所の職員に、「彼女の遺体はここにありますか?」と聞くと、「彼女はここにいますよ」”She’s here.”と。
へぇ、そう表現するんだーと思いながら、「私は彼女に会うべきですか?」”Should I see her?”と聞くと、やはり”No.”とのことで、氣が楽になりました。
アメリカは土葬が一般的ですが、彼女のようなケースは、州が火葬して大西洋に遺灰を撒いてくれるそうです。それは彼女の望みだったので良かったと思いました。
ボニーが、「私の大西洋!!✨」”My Atlantic Ocean!!”と歓喜して一緒に泳いだDania beachにも行き、泳いできました🐠一緒に食べたチーズバーガーも桟橋のレストランで味わいました🍔
毎日ボニーの家を訪れ、お片付けをしては泣いて思い出に浸り…を繰り返していました。ある時、ボニーのカウチに座ったら、生前に彼女がとても心地よくこの家に住んでいた感覚が伝わってきました。私と小さな娘たちの様子をこのカウチから眺めていた感覚も✨
「私はこの家で死ぬんだ✨」”I will die in this house!”と言っていたから、ボニーが望んだ通りになってよかった。
隣人のピートからは、「退職後の彼女は本当に本当に、毎日幸せそうだったよ!」と聞き、本当に良かったと思いました。
最後の夜はホテルのエレベーターで話したカルロスという人が偶然にもカウンセラーで、「もっと話したいかい?」と聞いてくれたのでおしゃべりしました。お礼にボニーが好きだった鳩サブレーをプレゼントしました🍪
自分の人生について語るうちに、今の私があるのはボニーのおかげで、すべてが今につながっていると実感し、どういうわけか自分を誇らしく感じながら眠ることができました。
帰りのフライトでも泣かずに帰国することができました✈️
ボニー、大好き❤愛してる❤️ありがとう❤️
あなたの愛と叡智と勇気を私が日本の子どもたちに伝えていくよ🌈🇯🇵